コレクション新収蔵品

2015年 静岡県立美術館 新収蔵作品

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日本画

椿椿山 1801-1854(享和元-嘉永7)

山海奇賞図巻の画像
《山海奇賞図巻》
1830(文政13)
紙本淡彩 13.5×466.5cm

椿椿山は江戸の人。本作は実際の風景をもとに描いた9図から構成される画巻。久能山下の浜辺よりはじまり、東海道沿いから眺めた富士山が続き、箱根の図で終わる。富士山の秀麗な姿と江戸時代の東海道の光景がみずみずしい筆致でとらえられており、静岡の地にこれほどふさわしい作品は中々ないだろう。また以前から椿山の作として全3巻の《山海奇賞図巻》(重要文化財、個人蔵)が知られていたが、本作はその続きにあたる可能性が高い。また本作に関する画稿や、本作中に登場する久能山の参道を描いた図とよく似た構図の《久能山真景図》(重要文化財、東京・山種美術館蔵)も残されている。椿山の画業を探る上で貴重な存在であることはもちろんだが、旅愁を誘う秀逸な情景描写は、数ある江戸時代の風景表現の中でも最も魅力的なもののうちの一つであろう。

杉浦俊香 1844-1931(天保15-昭和6)

駿府町奉行所の与力を務めた今井家の三男として生まれる。独学で画技を身に付け、中国、欧米へ自作を携えての視察旅行なども行った。1903年(明治36)第5回内国勧業博覧会に《二十四孝図》出品、1906年(明治39)五二共進会美術部出品(特選受賞)、1926年(昭和元)フィラデルフィア万博出品(金牌受賞)などが確認されるが、画壇からは距離を置いて独自に絵画制作に励み、主に個展で作品発表を続けた。
《渓山避暑図》は、線ではなく墨色の諧調で全体を構成していく、俊香の水墨山水の典型的な作風を示す。自著『絵画と国家の盛衰』の口絵に「欧米に激賞せられたる」作品として取り上げており、俊香にとって重要な作品のひとつといえる。
青緑山水も俊香の得意としたところである。《山水図》は、画面下半の山中に小さく四天王とカラス天狗が描き込まれており、何かしら仏教的な主題を盛り込んだものだが詳細は不明。俊香は数は少ないながら仏画も手掛けており、作品と共に残された資料類からも仏教への関心が高かったことがうかがえる。
《雪景山水図》は、点描と短い線描の集積でモチーフを表し、墨の諧調で全体の調子を整えつつ素地を残して雪景を表した大幅。雪景山水は、自他ともに認める得意画題であったという。

渓山避暑図の画像
《渓山避暑図》
1916以前(大正5以前)
絹本墨画 168.0×86.0cm
山水図の画像
《山水図》
20世紀前半(明治-大正)
絹本着色 168.0×86.5cm
雪景山水図の画像
《雪景山水図》
20世紀前半(明治-大正)
絹本墨画 175.0×72.5cm
 

速水御舟 1894-1935(明治27-昭和10)

芍薬図の画像
《芍薬図》
1923(大正12)
紙本着色 55.1×44.5cm

速水御舟は近代日本画を語る上で欠くことのできない重要画家である。40年という長くはない生涯の中でめまぐるしく画風を変化させて日本画革新のための課題に取り組み、数々の記念碑的な作品を残した。
大正後半期の御舟は、細密描写による迫真的な表現をさかんに試み、《京の舞妓》のような実験的な作品の他、宋元院体花鳥画など伝統的な絵画に学び優れた作品を残した。画風変遷の激しい御舟においても重要な一時期である。本作はその細密描写時代の作で、雨に濡れ重たげに頭を垂れる芍薬を中心に、葉陰に雨宿りする二羽の雀の質感や雨脚の一筋一筋までもが精緻に描き出される。同時に、真紅の芍薬の艶やかさ、ふっくらとした雀の愛らしさなどが表現された画面には豊かな抒情性があり、本作の大きな魅力になっている。

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