風景の交響楽

風景の競演

あこがれの風景 山水という風景 異国という風景

山水という風景

山水画は、中国から朝鮮・日本に伝わり古くから描かれてきたが、東アジア(漢字文化圏)の自然観を表わす魅力的なテーマであり、西洋とは別の展開をしめしてきた。
そもそも山水画は、特定の場所を描いたものではない。目に見えた対象をそのまま再現するのではなく、いったん自らの内に取り込んで胸中に丘壑(山や谷の景)を構築し、その構築された理想的な景(胸中の丘壑)を画面に表出する、というもので、人と自然の一体感が重視された。画家の心のフィルターを通して映された自然の姿。そのような作画理念から生れた山水画は、自然の一部を切り取るのでなく、自然の普遍的な姿、理想的な姿を表わすこととなる。実在の場所の主題にも、この理念は色濃く反映した。
当館には、池大雅・狩野探幽・谷文晁らのすぐれた山水画がある。それぞれに持ち味のちがう魅力的な山水世界をお楽しみいただきたい。

天才、本領発揮。 池大雅 《蘭亭曲水・龍山勝会図屏風》<重要文化財>

日本文人画の傑作のひとつ。中国・晋の故事に取材する。雄大な空間表現、流麗でのびやかな筆法、鮮やかで軽妙な色彩感覚など、随所に大雅円熟期の充実した画技を見せつける。画面には屈託のない明るさがあり、おおらかな気分にあふれている。41歳の時の作。

光に輝く柳の葉、清々しく表現。 呉春 《柳陰帰漁図屏風》

初夏の光に輝く柳の葉がリズミカルに描かれ清々しい。漁から帰る漁師のあくの強い顔や、岩の描写など蕪村風。款記から敏馬浦(現在の神戸市都賀川河口の古名)で制作されたことがわかる。池田時代といわれる呉春初期の作風をよく示す優品。

元信様式の花鳥山水、さわやかな逸品 初期狩野派 《四季花鳥図屏風》

広々とした風景のなかに憩う四季の花鳥たち。山水画でも花鳥画でもある作品。安定した構図、岩や松の描写など、初期狩野派の様式をしめし、とくに狩野第二代の元信一門による京都・霊雲院の方丈襖絵(16世紀半ば)の描法に近い。みずみずしい筆致を味わいたい。

繊細な描写発見—魚影のぞきこむ子供、宙舞う雀。 狩野探幽 《竹林七賢・香山九老図屏風》

中国・魏晋時代の竹林七賢の話と、唐の詩人白楽天ら九老が香山に集った話の組み合わせ。柔らかな筆触の水墨と広い余白が、抒情あふれる絵画空間を生んでいる。小川の魚影、竹の梢の雀、子供らの表情豊かな身振りなど、繊細な描写に注目したい。探幽早年期の代表作。

明るい色彩、リズミカルな描線が織りなす雄大な山水 池玉瀾 《渓亭吟詩図》

雄大な山水の景のなか、四阿に集い詩を吟じる文人たち。大雅から学んだみずみずしい色彩とリズム感のある流麗な描線によって、山塊や樹木が生き生きと描かれる。玉瀾の筆技の確かさをしめす大作で、健康的で明るい絵画空間が生み出されている。

温雅で端正な山水画—春琴の代表作 浦上春琴 《兢秀争流図》

群峰の秀を競う様を、曲折して下る水流、山路を行く人馬とともに描く。代赭、淡藍の彩色も効果的。当時舶載された中国蘇州派の画人謝時臣(1487-1557以降)等の画風に啓発されたものであるが、その温雅で端正な画風は春琴画の特質をよく示している。

緊張感ただよう画面—個性あふれる水墨表現 浦上玉堂 《抱琴訪隠図》

自由奔放な筆遣いが冴えた山水画の傑作。墨のトーンと運筆の変化を駆使し、ピンと張り詰めた緊張感をただよわせている。琴を抱えた高士が山中の隠者を訪ねるという画題は、琴士でもあった画家自身を重ねているのかも知れない。玉堂70歳頃制作の作品。

中国への憧憬—細密描写の山水 谷文晁 《連山春色図》

春霞のたなびくのどかな山水の景。山々は緻密な筆墨により下から上へと積み上げられ、圧倒的な量感をしめす。中国明末の山水画を学んだあとが顕著であるが、自然な奥行きの田園風景の描写などに新しさがある。文晁初期、いわゆる寛政文晁の傑作。

着色と水墨の調和、光る伊川の巧さ。 狩野伊川院栄信 《楼閣山水図屏風》

秦の始皇帝の阿房宮と思しき豪華な宮殿。その色鮮やかな建築描写もすばらしいが、山水を描く水墨の扱いも見事。堅牢な岩の描写は、初期狩野派への回帰。人物の精細な描写、左下、狩人が射ぬいた白鷺の流血、楼閣前の魚影など、こだわりの細部描写に注目したい。

巨大空間の山水世界。迫力満点の力作。 狩野永祥 《山水図屏風》

各扇ごとに鑑賞できるが、全体一図としても鑑賞可能な「離合山水」。右から三扇ずつ四季が展開する。垂直・水平強調型の形態感覚は京狩野の伝統だが、うるさいくらいの描きこみ、鋭く速い筆致など、画面はじつに力強い。こんな絵が描ける絵師がまだいたとは!

異国という風景

まだ見ぬ遠い異国への憧憬、あるいは自らが体験した異国の地に寄せる深い共感——。洋の東西、時代の今昔を問わず、異国に対して抱く様々な想いは、画家たちの創作の契機となり、新たな創造を生み出す原動力となってきた。異国と出会った画家たちは、その交わりの中で何を感じ、何を表現したのか。異国に理想を求めた画家たちは、その風景に何を託したのか。
時代も場所も様々な画家たちの、異国へ注ぐそれぞれの眼差しが生んだ豊かな世界をご覧いただきたい。

力づよい筆力、鉄斎ワールド 富岡鉄斎 《蜀國桟道図》

中国四川省と陜西省を結ぶ険しい山道を、高く聳える山塊が林立するというダイナミックな構図で描く。右上にある「峽雨桟霧」は、「谷間に雨が降り桟道を霧が濡らす」の意。鉄斎はこの景観を力づよい筆力で描ききった。鉄斎70歳頃の作。

湿潤な空気に包まれた中国・江南風景 竹内栖鳳 《揚州城外》

中景から遠景を作る石橋や人家が画面を引き締め、空間に深みを持たせる。潤いある淡い色面の広がりを生かして、前景の樹叢から運河のほとりの人々までを一つの景色の中に溶かし込み、しっとりとした叙情的な風景を作り出した。2度にわたる中国旅行の経験に基づく作品。

朦朧体の典型例 下村観山・横山大観 《日・月蓬莱山図》

中国の伝説上の霊山・蓬莱山について右幅「日の出」の景を下村観山、左幅「月の出」の景を横山大観が描いた合作。調和のとれた穏やかな色彩により、霊山の壮大さと神聖な雰囲気をよく表現する。

画家が心惹かれたテラス 秋野不矩 《ブラーミンの家》

バラモン教の司祭の家の一角。コバルトブルーと白の組み合わせが清涼感を際立たせ、屋根瓦の赤茶色とのコントラストが鮮やか。廃墟であれ民家であれ、秋野はインドの建築物を好んで描くが、そこには常に対象への深い愛着が表れている。

84歳の力強い造形に感服 秋野不矩 《ウダヤギリII》

力のこもった大胆な筆触と明快な色彩が、インドの乾いた空気を思わせる。ジャイナ教の古い寺院が横一直線に置かれる安定した構図だが、やや湾曲されることで雄大さと大地との一体感が表現され、画面に迫力を与える。

水彩絵の具って、ここまで描けるのです。 三宅克己 《白壁の家(ベルギー、ブリュージュ)》

ベルギーの古都ブリュージュを描く。時間が止まったかのような古都の風情は、刹那の水彩表現によって逆にかもしだされる。移ろう光と色彩は、幾星霜、この教会や並木道を照らし、彩ったであろうか。作者の円熟した技が、全紙大の大画面に存分に発揮された秀品。

油絵の具で、大地の強さを描く 鳥海青児 《張家口》

張家口は、中国河北省にある町。日本における油彩画表現を模索しつづけた作者は、この当時、異国の大地に格好のモチーフを見た。油彩ならではのマチエール(絵肌)が、まさに重く、強い地塗りとなって、悠久の大地を描き出す。

街角で繰り広げられる静と動のドラマ 佐伯祐三 《ラ・クロッシュ》

パリの街頭。地味な質感と色彩で描かれた塀は、じめじめと湿った静けさに満ちている。その一方で、壁面を乱舞するポスターの文字は画面を激しく躍動させる。この静と動のはざまを人々がひっそり歩いている。「ラ・クロッシュ」は「時を告げる鐘」の意。

日常に注がれるあたたかい視線 清水登之 《セーヌ河畔》

セーヌ川で釣りをする人、河原で寝そべる仲間たち、橋の上からそれを眺める人々。ぬくもりのある人物表現がそこかしこにみられる。本作をまとめあげる上品な中間色は清水のフランス時代特有の典雅さを示しており、全体に品格を与えている。

生活者の視点から描かれた普段着のパリ 原勝郎 《バガテル公園、パリ》

二股の道を俯瞰しつつ中央が遠くまで抜けた個性的な構図。観る者は奇妙な視点にとまどう。バガテル公園はパリ西部ブローニュの森にある公園。画中にも、くつろぐ人々の気取りのない姿が見える。渡仏後すぐの時期に制作された、現存する最初期の作品の一つ。

夕暮れの水辺に染み入る羊飼いの笛の音 クロード・ロラン 《笛を吹く人物のいる牧歌的風景》

署名も年記もないが、クロード初期の大作のひとつである。夕暮れの水辺に三人の羊飼いが集い、仲よく笛を楽しんでいる。中景に聳える大木の間には深い空間が開け、その深奥には橋と山々がうっすら現れている。クロードらしい静けさとやすらぎが満ちみちている。

王女は羊飼いの夢を見るか パウル・ブリル 《エルミニアと羊飼いのいる風景》

愛する男の姿を追って、鎧兜を身にまとい、敵の包囲を突破したサラセンの王女エルミニア。虎口を脱した彼女が羊飼いたちから、牧歌的な生活の喜びを聞かされる場面である。こういう作品が喜ばれたのは、やはり素朴や平和が、遠くにあって思うものだったからか。

「絵画史上最も過小評価された画家」(K.クラーク) ガスパール・デュゲ 《サビーニの山羊飼》

丈高の樹木。横一線に伸びる地平線。ジグザグに走る山道。−これら数本の軸を基本に、岩、低木、家などが肉付けのように配されている。起伏に富んだローマ近郊の山岳が、深みのある色調と手堅い筆遣いでそつなく描写されている。白く輝く山際の空は印象的である。

軽やかな憧れ ユベール・ロベール 《ユピテル神殿,ナポリ近郊ポッツォーリ》

廃墟は何故、魅惑するのか? それは廃墟が、かつてそこで明滅した幾多の光景のネガであり、知らず人の心に過去を焼きつけ、遠い世界へと誘うからではなかろうか。ロベールの廃墟は暗くはならず、明るい南イタリアの空を背景に、軽やかで、そして朗らかである。

廃墟をめぐる幻想 マルコ・リッチ 《神殿とゴシック教会のある廃墟の眺め》

こちらは幻想の廃墟である。画家はスフィンクスやそびえ立つ神殿の廃墟など、お気に入りのモチーフを組み合わせて「何となく風情ある廃墟」の図を作り出している。現実であれ、架空のものであれ、彼方への憧れを宿した眼には、どちらも魅力的に映るのであろう。

理性・冷静・熱狂 ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ 《イクノグラフィア(古代ローマのカンプス・マルティウスのプラン)》

古代ローマの町並みの復元を試みた図である。が、18世紀当時、発掘などで確認出来る遺構はほとんどなかった。そこで作者ピラネージはどうしたか?すなわち、霊感によって、ローマ人なら作るであろう町並みを作り出したのである。要するに大部分創作なのだが、作者が目指したのはあくまで「真実」なのであった。

君はローマを見たか ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ 《『ローマの景観』トレヴィの泉》

ローマ内外の景観を描いた、総数135点を数える一大連作。理想のローマの姿を求めるピラネージは、建築物を透視図法の力技によって、途方も無いスケールに変えてしまう。その白髪三千丈的誇張によって描き出されたローマのイメージは広く流布し、この都市への憧れをヨーロッパ中にかきたてたのであった。

君はローマを見たか ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ 《『ローマの景観』スペイン広場》

ローマ内外の景観を描いた、総数135点を数える一大連作。理想のローマの姿を求めるピラネージは、建築物を透視図法の力技によって、途方も無いスケールに変えてしまう。その白髪三千丈的誇張によって描き出されたローマのイメージは広く流布し、この都市への憧れをヨーロッパ中にかきたてたのであった。

君はローマを見たか ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ 《『ローマの景観』サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂》

ローマ内外の景観を描いた、総数135点を数える一大連作。理想のローマの姿を求めるピラネージは、建築物を透視図法の力技によって、途方も無いスケールに変えてしまう。その白髪三千丈的誇張によって描き出されたローマのイメージは広く流布し、この都市への憧れをヨーロッパ中にかきたてたのであった。

君はローマを見たか ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ 《『ローマの景観』コンスタンティヌスのバジリカ》

ローマ内外の景観を描いた、総数135点を数える一大連作。理想のローマの姿を求めるピラネージは、建築物を透視図法の力技によって、途方も無いスケールに変えてしまう。その白髪三千丈的誇張によって描き出されたローマのイメージは広く流布し、この都市への憧れをヨーロッパ中にかきたてたのであった。

君はローマを見たか ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ 《『ローマの景観』ナヴォナ広場》

ローマ内外の景観を描いた、総数135点を数える一大連作。理想のローマの姿を求めるピラネージは、建築物を透視図法の力技によって、途方も無いスケールに変えてしまう。その白髪三千丈的誇張によって描き出されたローマのイメージは広く流布し、この都市への憧れをヨーロッパ中にかきたてたのであった。

冴え渡るミシャロンの筆さばき アシル=エトナ・ミシャロン 《廃墟となった墓を見つめる羊飼い》

1817年のサロンへの出品画で、二十歳のミシャロンの秀作。二人の羊飼いが見つめる左前景の墓は、理想郷のように美しいところにも、死が忍び込むことを示唆しているのだろう。17世紀イタリアから流れ出た古典的風景画の伝統に連なる精彩に富んだ作品である。

ヨーロッパ旅行の成果を見せる一点 ジョン・ロバート・カズンズ 《ポルティーチからヴェスヴィオ山を望む》

古には、ポンペイを灰で埋めつくしたヴェスヴィオ山。朝焼けの光を浴びたその雄姿と、ナポリの肥沃で乾いたカンパーニャの風景が描かれている。カズンズ特有の広々とした空間構成や、抑制された色数による微妙なトーンと濃淡による表現が冴えを見せる。

輝く黄金の光 ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー 《パッランツァ,マッジョーレ湖》

人は今そこにないものに憧れるが、暗いロンドンに生まれたターナーにとってそれは輝く光だったのであろう。画面に満ちるこの光は、作者の恍惚とした陶酔を誘う点で、強い酒のようであり、他のものが目に入らなくなるという点で、恋のようでもある。

観る人の心情を揺さぶる遭難者の身振りと表情 クロード=ジョゼフ・ヴェルネ 《嵐の海》

船の難破はヴェルネの得意とした主題であった。荒波に翻弄される遭難者と救助にあたる人々の描くドラマは、もはや風景画ではなく、人物の感情表現を不可欠とする歴史画に相当すると賞賛された。想像力によって構成された絵画で、円筒形の建築物はローマに現存する有名な墓である。

風景画家の理想的構図 ジャン=ジョゼフ=グザビエ・ビドー 《山の見える牧歌的風景》

犬を連れた牧童と牛の群れが古典的な趣を添えるが、主役はあくまで自然の風景そのもの。密生する木立や倒れた幹、葉や川のせせらぎに照り返る光の表現、そして広がりのある遠近法による構図に、ビドーの真骨頂が表れている。

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静岡県立美術館 学芸課
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