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ジョージ・リッキー
George RICKEY

1907-2002

アメリカのインディアナ州サウス・ベンドに生まれる。6歳の時スコットランドに移住。オックスフォードで近代史を学んだ後、パリのアンドレ・ロートのアカデミーに入る。1930年帰国し、各地で美術の教師を務めながら制作を続ける。1942-45年空軍で兵役に服し、最初のモビールを制作した。1949年インディアナ州立大学助教授に就任、同年ガラスで最初のキネティックを試みる。その後もテュレーン大学、カリフォルニア大学などで教鞭をとり、1960年以降ニューヨーク北部のイースト・チャッサムに定住。1968年にはベルリンにもアトリエを設ける。翌年大阪万博のための「国際彫刻家シンポジウム」に参加。1972年アメリカ建築学会美術部門賞、1981年合衆国美術学校協会功労賞、1986年ニューヨーク州知事芸術賞を受賞する。1987年ベルリン芸術アカデミー会員。「私の芸術は自然と幾何学だ」と言うように、詩と分析科学の綜合に基づき、風力を用いた独自なキネティック彫刻を作り続けている。スミソニアン・アメリカ美術館、オルバニー州庁含プラザ、プリンストン大学、サンフランシスコ近代美術館、ハンブルク美術館、ベルリンの近代写真建築美術館など、とりわけアメリカとドイツに野外を主とする多数の彫刻が設置されている。


四つの旋回する斜線 菱形II

1984-85年
ステンレス  h.686cm
昭和60年度購入

接合部に仕込まれたボールベアリングとシーソーの原理、そして風力によって、四本の棒が大空をバックに多様な旋回を続ける。そのさまは、大空にコンパスが自由なデッサンを描き続けるようであり、テクノロジーの機械的原理と自然に寄せる詩情との総合に努める、作者の典型的な作例になっている。作者は「私の彫刻が、時に植物や雲や海のように思われるとすれば、それはいずれもが同じ運動法則に、同じ機械的な原理に従っているからだ」(1964年)と言い、また「私の芸術は自然と幾何学で、日本人と同じだ」(1979年)とも語っている。本作は特に当館の設置状況に留意して提供されたもので、制作番号は2/3。先立つ作は、彼の住むイースト・チャッサムの所蔵家の庭に置かれている。直立形式の作が水中に設置されているのは、たぶん当館が唯一のケースであろう。(S)


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