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大西 清澄
ONISHI Seicho

1919(大正8)-

高知県土佐に生まれる。1938-45(昭和13-20)年、小学校教員を務め、1941(昭和16)年より兵役に就き、やがて中支戦線に行く。戦後は衣料雑貨の販売や外食業を営むかたわら小説を書き、1965(昭和40)年頃から独学で彫刻を制作。1969(昭和44)年第1回現代国際彫刻展に出品し、彫刻の森美術館に買上げられた。その後も現代日本美術展(1969・76・77)、彫刻の森美術館大賞展(1973・昭48)、須磨離宮公園の現代彫刻展(1974・76、いずれも受賞)に出品、彎曲するステンレスの鏡面を簡明かつ大胆に構成し、そこに四囲環境を多様に反映させる作風で評価を得た。長編小説では≪時間人間≫(1971・昭和46)、≪祟鳳翼≫(1980・昭和55)を刊行、芸術と芸術家の大衆化=卑小化を批判し、あるべき本来の人間像を造形と言語の両面から証しだてようと努めている。「人間とは何か?ひたすらおのれ自身を解き明かそうとする者の名である。それは如何なる怪物よりも奇しい。人間はおのれ自身を解き明かそうとしている限りにおいて怪物そのものとなることから逃れている。」(≪時間人間≫より)---作品は高知市藤並公園、高知県早明浦ダム公園、高知県南国市などに設置されている。


濤の塔

濤の塔

1985-86(昭和60-61)年
ステンレス 368.2×183.0×137.3cm
昭和60年度購入 

彫刻プロムナードの建設にあたってノミネートされた作者が、現場の環境に留意して新たに制作した作品。彎曲するステンレスの鏡面体を簡明に構成しこれに周囲の景観を多様に映し出している。当館に寄せられた作者の説明書によれば、本作の主題は、勇気・情熱・ロマンといった男性的意志の象徴としての「崖」であり、“崖が招き、崖が輝き、崖が昇り、崖が構築する”結果の、孤絶に輝く上昇感の表現がその趣旨であるという。---
作者は40歳代の半ばから独学で環境彫刻を制作し、また人間の日常を哲学的に批判した長編小説を刊行するなどして、自己分析に基づく本来的な人間像の解明に努めてきた。例えば小説≪時間人間≫(1971・昭和46)のエピローグには、刃傷沙汰のあげく妻に逃げられた「私」が、「死の真中に鮮やかに浮かび「上がった生の光景の如く」、少年の頃から見なれた崖に眺め入る場面があったりする。かように「崖」は、生に対する作者の強靭な意志を寓意するものであり、その簡明な造形のうちに、作者は自身の生の形を定着しようと努めている。≪濤の塔≫について作者は言っている。「生とは、形へのあくなき執念であろう。幾何学との接点としての美一バランスだけが確かである。観念の統合と体系は、その時見えるものとなる。---曲線や波形は、頼りなく繰返したり崩れ去る物の図様ではない。指示し構築し変貌する運動である。字宙も光も電気も波。懸崖や山脈は地層の波。彫刻や塔は、人間の内なるマグマの意識界に吹き上けた人工崖ともいえよう。」(S)


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