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掛井 五郎
KAKEI Goro

1930(昭和5)-

静岡市音羽町に生れた氏は15歳の時、たまたま上京した東京において木内克(よし)の彫刻に出会って、感動し、その日以来彫刻家になる決意をしたという。1950年東京芸術大学に入学、彫刻科、彫刻専修科と進み、1957、58年同大学の副手となる。57年新制作に初入選(新作家賞)したことから、以後同会に出品、1961(昭和36)年新制作協会会員となる。1968(昭和43)年ベラクルス大学(メキシコ)の客員教授となり、70年まで続けた。1991年住いを桐生に移したが、1996年またアトリエを東京に移し、青山学院女子短期大学芸術学科の教授職も辞し、制作に専念する。
主な受賞は、1976年第7回中原悌二郎賞優秀賞、1977年第7回現代日本彫刻展神戸須磨離宮公園賞、1981年第9回現代日本彫刻展東京国立近代美術館賞/神奈川県立近代美術館賞受賞。1982年≪蝶≫にて高村光太郎賞受賞など。
氏は兄の影響を受けてクリスチャンとなり、従ってかれの興味、制作対象は人間であり、それは一貫している。しかもそれを再現的に作るのではなく、自分が観たものを自分というフィルターしか通したものでないと有り得ない表現にまで高めようとするのが、彼の制作の底流をなすものといえる。


蝶

1982-86(昭和57-61)年
ブロンズ 175×115×100cm
昭和60年度購入 

静岡市に生れた氏は15歳の時、たまたま上京した東京において木内克(よし)の彫刻に出会い、感動し、また木内氏にも出会ったことから、その日以来彫刻家になる決意をしたという。また氏は兄の影響を受けてクリスチャンになったことから、彼の制作対象は常に主として人間であり、その人間の表現にこだわってきたといえる。再現的な表現ではなく、自分の眼、脳を通して観るという行為をなしたが故の表現こそ、氏の目指すものであろう。 本作は大患を癒した作者が病後初めて手掛けた作品で、母親の死に際会して構想されたという。 作者自身のコメントによれば「一匹の蝶が羽をひろげて休んでいる。それは、天より地上に、再び舞降りて来た蝶の姿である。母は18の時に結婚して、5人の男子、5人の女子を生んだ。86歳でこの世を去るまで、みごとに美しかった。母の名は「蝶」という。」(「静岡県立美術館 彫刻プロムナード案内」1986年)
従って本作の題は母の名からとられていることが判る。手足は細くても、どっしりとした量塊を与えられた体からは、地に足をつけた存在感が否応無く見る者に迫る一方、「天空から舞降りた蝶さながら」と評された母像の髪には一面に花が飾られ、作者の母への荘厳が見て取れよう。(Oy)


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