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山口 源
YAMAGUCHI Gen

1896-1976(明治29-昭和51)

富士市柳島で生まれる。本名源吾。1914(大正3)年、両親と共に台湾台北市に移住、父の醸造業を手伝う。病気療養中の関仔嶺泉にて版画家藤森静雄と知り合う。一燈園の奉仕活動に従った後、東京で藤森静雄と再会し恩地孝四郎の知遇を得て版画を制作。創作版画協会展等に出品すると共に、1939(昭和14)年より恩地孝四郎宅で研究会一木会を開いて関野準一郎と共に世話役を勤める。1943(昭和18)年日本版画協会会員、1949(昭和24)年国画会会員となる。1944(昭和19)年、沼津市江の浦に疎開、以後同地に居住。戦後は、日本版画協会展、国画会展、各国国際版画展等へ抽象的な木版画を出品、恩地孝四郎に次いでわが国抽象木版画の先駆的な役割を果した。1957(昭和32)年リュブリアナ国際版画ビエンナーレで優秀賞を、1958(昭和33)年には第5回ルガノ国際版画ビエンナーレではグランプリを受賞し注目を集めた。沼津市江の浦で没す。


能役者

能役者

1958(昭和33)年
木版、紙 86.5×47.0cm
昭和60年度購入

右横向きの人物頭部と肩を連想させる形体が柔らか味のある木版特有の色面によって構成され、地の灰色と調和して幽玄さを漂わす。「民族の必然的露出、特定のモデルはない。私の私だけのイメージにすぎません。」とし、「イメージが作家の側に発酵しつつあるとも、その外部の世界に“材料”を発見し、その両者の交合によって作品が結晶して行く」と自ら語っている通り、水気の多い木版の刷りによって漠然とした空間を暗示し、その定かならぬ空間の中に流木という有為転変を経た“素材”の有り様をそのままに置き、超日常的な時間・空間をその場面設定とする能の演者に見立てて《能役者》と題する。しかし、そこには日本の芸能、芸術、絵画が古来から伝統的に持ってきた高い象徴性と抽象性を見る者に気付かせる企みが秘められている。第5回ルガノ国際版画ビエンナーレにおいてグランプリを受賞し、作者の代表作とされる本作からは、人種国籍を超えて国際的普遍性を持つ抽象絵画の表現に努めて来た作者が「民族の必然的露出」と述べる時の心中の、苦渋にも似た感情に思い致らされる事となる。(Ty)


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