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歌川 広重
UTAGAWA Hiroshige

1797-1858(寛政9-安政5)

江戸八代洲河岸に住んだ幕府の定火消同心の安藤源右衛門の子として生れる。幼名は徳太郎といい、のちに重右衛門、徳兵衛と改めた。号は一遊斎、一幽斎、一立斎などがある。13歳にして両親に先立たれ家職を継いだが、文化8(1811)年頃、歌川豊広(1773ー1829)に入門し、文政元(1818)年頃からは、広重を名乗り作品を発表した。やがて家職を子に譲り画業に専念する。はじめ当時流行の美人画や役者絵を中心に描いたが、天保2(1831)年頃、《東都名所》(一幽斎書き、十枚揃)を発表し、風景画の分野に進出した。続いて世に出した《東海道五拾三次之内》(保永堂版)は、その抒情的な画風により爆発的な売れ行きを示し、北斎にかわる新しい風景画の旗手としての広重の名を一躍高めた。その後も《江戸近郊八景》《木曾海道六拾九次》をはじめ、江戸名所、諸国風景などの多くの作品をのこし、風景版画の分野に大きな足跡をのこした。画面に漂う切々たる抒情、寂廖感にじむ旅愁は、幕末の喧燥期にあって人々の心を和ませた。風景版画のほか、画賛と絵が見事に調和した花鳥版画、四条派に南画や狩野派の手法も加えた気品高い肉筆風景画の分野にも独自の画境を開いた。


   
東海道五十三次(箱根 湖水図)東海道五十三次(三島 朝霧)
東海道五十三次(蒲原 夜之雪)東海道五十三次(鞠子 名物茶屋)
東海道五十三次(庄野 白雨)



東海道五十三次 (保永堂版)

1833(天保4)年頃
紙、木版 大判錦絵・55枚揃(付2枚)
25.5×38.7cm(箱根)ほか
昭和56年度購入

広重は天保3年(1832)に徳川幕府が毎年八月朔日に行う朝廷への御馬献上の一行に加わり、東海道を江戸から京都まで旅をした。その時に見た風景や見聞や印象をもとに発行したのがこの《東海道五十三次》である。葛飾北斎が同2年から発表した《富嶽三十六景》の成功により注目を集めていた風景版画の分野に、37歳の広重が本格的に進出、この作品の大ヒットによって風景版画家としての地位を不動のものにした。版元は「保永堂」。広重はその後東海道のシリーズを20種以上発表したが、最も評価の高いこの最初のシリーズはそれと区別するため「保永堂版」と呼ばれている。
広重はこの作品で、旅行く人と自然が織りなす情景を東海道の宿場を舞台に抒情的にうたいあげた。《三島》、《蒲原》、《庄野》では霧・雪・雨など自然現象の描写を巧みに加え、さらに情感を高めるとともに、抒情的な場面づくりにより、旅行く人の心の機微までも表現した。さらに《箱根》では大和絵の色画構成まで加えており、多様な技法の中に自然と人生が融け合った風土のハーモニーを奏でている。 


隅田川春風景

墨田川春景図

19世紀中期(江戸後期)
絹本着色 掛幅装 17.4×30.0cm
平成5年度購入

広重は、<東海道五十三次>シリーズをはじめとして、風景版画の分野で抒情的な独自の画風を開拓したが、晩年、肉筆画においても、名所絵を中心にやはり風景図の分野に多くの作品を残した。
山形天童藩の依頼によって描かれた多くの江戸名所図(天童広重と呼ばれる)はよく知られている。版画において、時に奇抜な構図や大胆な着想によって作画にあたった広重だが、肉筆画においては伝統的な名所絵のスタイルを継承し、構図や色彩などおとなしく瀟酒な作風のものが多い。円山四条派の描く名所絵との類似もうかがわせている。
本図は墨田川沿いの春の夕景をきめこまかな筆致で描いた作品。松や満開の桜の木が立ち並ぶ堤には、町へと帰る人の姿が小さく描かれ、川には帆舟が二隻、筏とともにゆったりと下る。対岸には家並みや木立が墨により、沈んだトーンで描かれる。空は微妙な色調の変化により、春の夕のおぼろげな空気が巧みに表現されている。一列の鳥は、北国へ帰る雁の群。季節の情趣をこまやかに描き込み、細部にまでこまかな描写が行き届いた広重肉筆画の傑作のひとつである。(Im)


不二三十六景不二三十六景不二三十六景
不二三十六景不二三十六景

不二三十六景

1852(嘉永5)
紙、木版、色摺 中判錦絵36枚 17.8×25.0他
平成12年度購入

広重は本姓安藤、江戸後期を代表する浮世絵師。《保永堂版東海道五拾三次》の発表で風景画家としての地位を築き、人と自然が織りなす情景を詩情豊かに描いたことで人気を博した。本作は、葛飾北斎《富嶽三十六景》からおよそ20年後に描かれた広重の三十六景。北斎のような奇抜な構図は少ないが、小さい画面に広重ならではの繊細な表現が随所に見え、広重の抒情的側面をよくしめしている。なお、広重は最晩年には、縦大判の《富士三十六景》を制作している。


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