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フランシスコ・デ・ゴヤ
Francisco de Goya

1746-1828

アラゴン地方フエンテ・デ・トドスという一寒村の金工の家に生まれる。画家としての修業時代はサラゴサの学校に始まり、マドリードさらにイタリアにおいて技術を習得し、徐々に教会の室内装飾などの注文を受けるようになった。1774年にはサラゴサ時代からの友人で、画家のフランシスコ・バイエウを通じ、当時宮廷画家として権威をもっていたラファエル・メングスに認められ、王立タピスリー工場のための下絵作家として活躍する。貴族社会に認められるようになったゴヤは、カルロス四世の即位とともに宮廷画家に任ぜられ、その後アカデミー絵画部長や首席宮廷画家の地位を得、国王をはじめ貴族の肖像を数多く描くことになった。
華やかな宮廷画家としての注文制作とは別に、ゴヤは戦禍や悪魔など当時の社会や人間の暗部を鋭く捉え、描写する独特の表現力を見せる。特に1793年に大病が原因で聴力を失って以来、一層内省的になり、ナポレオンによるスペイン占領などの不安定な社会状況の中で、この傾向は次第に強まっていった。芸術が自己の内面の表出であることを示したこれらの作品は、ある意味で近代芸術の幕開けを告げるものと考えられている。


 
妄妄
   

1815-24年
エッチング、アクアチント、ドライポイント、
ビュラン、ラヴィ、紙 21.3×32.0cmほか
昭和58年度購入

《妄》はゴヤによる四大連作版画集のうちの一つで、前に制作された連作版画《気まぐれ》との直接的な関連が指摘されている。しかし《気まぐれ》では、画家自身が付けた各作品の題名や順番から内容が説明されやすいのとは異なり、《妄》の場合は手がかりとなるものが少なく、ゴヤの死後、さまざまな解釈を呼んでいる。
制作は《闘牛》の連作と同じ頃に始まったといわれているが、出版までにはそれから約50年の歳月を要し、そのときにはすでにゴヤは没していた。22点からなる連作のうち14点の試し刷りに画家自身が付した題名から、1865年に批評家メリーダが《妄(ディスパラーテス)》という題名を用いて以来、同題で知られている。しかし、1864年に王立サン・フェルナンド美術アカデミーから初めて出版されたときは、《諺》という題名が付けられていた。このときには22点のうち4点が除かれ、18点が連作として確定されているが、題名と同時にこれらの選択にかかわる根拠は明らかになっていない。
トーマス・ハリスはスペインに残る「諺」を個々の作品に当てはめ、解釈を試みているが、謎と寓意に彩られた表現に明確な解釈を与えることは困難である。ゴヤはエッチングとアクワチントを組み合せた卓越した技術によって、人物や怪物などを漠然とした空間の中に浮かび上がらせ、人間や社会の内奥に渦巻く虚偽や不安を鋭く描き出しているといえよう。  


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