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ギュスターヴ・クールベ
Gustave Courbet

1819-1877

スイスに国境を接したフランシュ=コンテ地方ドゥー県オルナンに生まれる。父の勧めにより法律家を目指したが適応せず、ブザンソンで美術教育を受けた後、1839年にパリに出て、アカデミーの画家ストゥーベンのアトリエで学ぶ。サロンへは何度か失敗を繰り返し、1844年に初入選を果たす。2年後のサロンで注目を受けた《オルナンの食休み》には、オランダ滞在中に触れたレンブラントやカラヴァッジオの作品からの影響が見られる。
《オルナンの埋葬》《水浴びする女たち》《画家のアトリエ−現実的寓意画》など次々と発表された大作により、人物や事物を理想化せず捉える現実的な視点が提示されたが、画壇には受け入れられず、周囲の無理解との闘いが続く。1855年にはサロンへの出品を拒否されたことから、万国博覧会の開催に合わせ、独自に展覧会を組織し「レアリスト」を標榜した。
1871年のパリ・コミューンに参加したことから投獄され、スイスへの亡命を余儀なくされ同地で没する。


ピュイ・ノワールの渓流

ピュイ・ノワールの渓流

1865年
油彩、キャンヴァス 75.0×90.0cm
昭和58年度購入

ピュイ・ノワールはクールベの出身地であるオルナンに近い峡谷である。目の前のものを、見たままに描き出そうとした「レアリスト」クールベは、故郷周辺の身近な風景をしばしば題材として採用している。澄んだ空気がまぶしい光を投げかけるフランシュ=コンテ地方の風景は、彼の風景画制作を考えるときに必ず立ち返らなければならない地点である。
美術史上では、バルビゾン派と印象派を架橋する位置にあるクールベだが、彼の関心はうつろいやすい自然の様相をカンヴァス上に写しとろうろした、印象派の画家たちのものとは異なっていた。周囲の強い光の中でより一層暗さが強調されている森は、同じくオルナン周辺にある洞窟を描いた作品と、閉じた暗い空間の描写という点に共通性が認められ、これらの作品にはある種の寓意が秘められていることが指摘されている。
また、岩の表面や葉群、渓流の水しぶきなどの表現には、パレットナイフが用いられ、独創的である。(Oj)                              


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