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モーリス・ド・ヴラマンク
Maurice de VLAMINCK

1876-1958

パリの音楽家の家に生まれる。若い頃は自転車の選手やヴァイオリンの教師として生計を立てたこともあり、絵画についてはほとんど独学であった。偶然に知り合ったドランとは1900ー01年と1904ー05年にセーヌ河畔の町シャトァーに共同のアトリエを持つなど親密に交流し、フォーヴィスムの展開に重要な役割を果たした。ただし、真の意味でフォーヴィスムの画家として活躍するようになるのは、1905年のサロン・ドートンヌ以降のことと考えられており、その後、他のフォーヴの画家たちとともにサロン・ドートンヌだけでなくサロン・デザンデパンダンにも積極的に出品している。
フォーヴィスム期を過ぎると、画面からはそれまでの強烈な明るい色彩が消え、青や茶色を中心にした暗い色彩が多用されるようになる。構図にセザンヌの影響が明かなこの時期の作品では、厚く塗られた絵具や強いハイライトが特徴的であり、おもに風景や静物が題材とされている。


小麦畑と赤い屋根の家

1905年
油彩、キャンヴァス 60.0×73.0cm
昭和58年度購入

1901年、ベルネーム・ジュヌ画廊で開催されていたゴッホ回顧展を訪れたヴラマンクは、会場でマティスに出会った。ゴッホとマティス、両者が、フォーヴィスム期のヴラマンクの、チューブから出したままの原色絵具や厚く盛り上がった力強い筆触に強い影響を与えたことを考えると、このときの三者の出会いは示唆的である。
ヴラマンクが厳密な意味でフォーヴィズムの画家といえるのは、1905年から1908年までと考えられ、彼はこの時期のほとんどをパリの北西に位置するセーヌ河畔の町シャトゥーとその周辺で過ごしている。かつて印象派の画家たちが集まり、制作したアルジャントゥイユやブージヴァルなどに程近いこの町は、ヴラマンクが若い時期に長く過ごした地であり、彼にとってもっとも身近な、そして愛着のある土地であった。本図に描かれた赤い屋根は、この付近の家に特徴的なものでたびたび描かれている。また、小麦畑やそこに働く人物というモティーフは、色彩や筆触と同様、ゴッホの作品を想起させる。本図は豊かな色彩や巧みな構成により、この時期の彼の作品の中でもっとも充実したものの一つに数え上げられる。(Oj)                        


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