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サルヴァトール・ロ−ザ
Salvator ROSA

1615-1673

17世紀イタリアの風景画家、歴史画家。ナポリ郊外のアレネッラに生まれる。戦闘図で知られた画家A.ファルコーネのもとで絵画を学ぶ。1635年にはローマに移って風俗画を描く。1640年ジャン・カルロ・デ・メディチ枢機卿に招かれたらしく、フィレンツェに行き、1649年まで滞在する。そこで以後つれそうことになるルクレツィアと知り合い、四人の子をもうける。アッカデミア・デイ・ペルコッシと称する私設アカデミーを開いたのもこの頃で、知識人グループと親交を結び、画家として活動する一方で、『戦争』『魔女』などの諷刺詩をのこす。ローマに戻ってからのローザは、風景画がよく売れたことからその名声は大いに高まり、トリニタ・デイ・モンティの私邸には、当時の文学者や美術愛好家が足繁く通ったという。しかし彼の本来の願望は、風景画家ではなく歴史画家として称賛されたいということだったが、その真の願望は十分に達成されなかった。枝のへし折れた枯れ木、険しい岩山、風に流されてゆく黒雲、盗賊風の兵士などで構成されたローザの荒々しい風景画は、18世紀のヨーロッパ、とりわけ英国で大きな人気を呼び、ローザ白身盗賊であったという伝説にも促され、ロマン主義の時代には英雄的人物にまつりあげられた。ローマで没。


ユピテル神殿、ナポリ近郊ポッヅオーロ

川のある山岳風景

1650年代後半
油彩,キャンヴァス 121.0×196.5cm
平成4年度購入

1649年、フィレンツェからローマに戻ったローザは、デモクリトスやディオゲネスなどを主題にした大作を発表し、歴史画家としての栄達をはかったが、その一方で風景画の制作も精力的におしすすめていた。1650年代後半の様式的特徴を示す本作は、《洗礼者ヨハネのいる風景》《モーゼの救出》《アポロンとクマエの巫女≫など、横幅2mを越す一連の大型作品に連なるものである。前景人物は宗教的あるいは哲学的意味を含んでいないが、プラットフォーム的な岩盤、岩山の大きな量塊、へし折れた枝、遠方の険しい山岳、風に流されゆく雲は、40代のローザの風景画にしばしば見いだされるモティーフであり、それらの組み合わせによる斜め後方への空間の伸展は、この画家本来のものといえる。
ローザ没後のヨーロッパには、彼自身盗賊であったとかマザニエッロの一揆の先導者であったとかいう伝説が誕生し、18世紀後半から19世紀中頃にかけて彼の作品は、英国で大いにもてはやされた。本作もおそらく17世紀末までにローマからロンドンに送られ、以後ながらく英国貴族たちに所有されていた。対画と考えられている≪川のあるイタリア風景≫(l20.8×196.3cm)の前景にも、‘SR’(モノグラム)の著名が見られる。(K))


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