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アンゼルム・キーファー
Anselm KIEFER

1945-

ドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州ドナウエシンゲンに生まれる。フライブルク大学で法律を学んだ後、1966年カールスルーエ芸術アカデミーのホルスト・アンテスのもとで絵画を学ぶ。1969年同地で最初の個展を開催、同年の≪英雄的象徴≫(書籍仕立ての水彩・写真集)などには、すでにヒトラーへの敬礼ポーズを多用したナチズム検証が始まっている。1970年デュッセルドルフ芸術アカデミーでヨーゼフ・ボイスに師事、その芸術精神に深く感化された。1976年フランクフルト芸術協会の「ボイスと弟子たち」展に参加。1980年第39回ヴェネツィア・ビエンナーレで個展を開き、国際的な評価を得る。この頃から画布に藁を貼ったシリーズを始め、1982年より鉛を用いた制作を開始。1983年ハンス・トーマ記念賞を受賞。1987年シカゴ・アート・インスティテュートで回顧展が開かれ、フィラデルフィア美術館、ロサンゼルス現代美術館、ニューヨーク近代美術館に巡回されてセンセーションを捲き起こした。l990年イェルサレムのヴォルフ芸術賞を受賞。1991年ベルリン国立近代美術館で、故国で最初の大回顧展を開催、翌年わが国最初の個展がフジテレビギャラリーで開かれた。
キーファーは故国ドイツの政治的・社会的・文芸的な歴史性に主たるモティーフを求め、その精神的風土の功罪を種々の素材を用いて大画面その他で表現主義的に展開しながら、ドイツ美術の伝統を今日に継承する自己のアイデンティティを追求しつづけている。近年はドイツを超えた古代神話や聖書の物語にも取材し、今日の文化状況と重ね合わせて、現代の人間像の探求に努めている。


極光

1978-88年
写真,灰・焦げ跡のついた鉛,上塗りした鉄のフレーム
241.4×101.4cm
平成3年度購入

写真の断片と、塩酸で処理された鉛を貼合わせた縦長の画面には、極北の海で座礁した船を見たてることができる。未知なる世界への憧憬と人知の及ばぬ運命による挫折という構図は、ドイツ・ロマン派の世界観に通有のもので、本作もカスパル・ダーヴィト・フリードリッヒらの象徴的なイメージ性を基礎としていることは疑いない。
ところでここに用いられた写真は、作者の2点の旧作(書籍仕立ての写真集)と共通するところが多い。ヒットラーの無謀な英国侵攻作戦を戯画化した写真集≪あしか作戦≫(1975)には、ナチスの参謀よろしく浴槽に玩具の軍艦を浮かべた様子が見え、この軍艦は本作のそれに類似している。またドイツの民主統一を歌い、北海の孤島に追放された愛国詩人を主題とする写真集≪へルゴラント島のホフマン・フォン・ファラースレーベン≫(1978)には、詩人を孤島に運ぶ船として類似の軍艦が氷の中に現れている。そしてこの詩人の愛国歌がナチスに悪用されたという事実は、一見無関係なこの二つの主題を関連づけるのである。キーファーはここで1978年当時の写真を再利用し、1986年に本格化する鉛の錬金術を併用して、流謫の詩人に自らを重ねあわせながらドイツの歴史と精神の錯雑とした森に踏み入り、その功罪を今日に開示しようと試みている。---なお本作は歌手のボブ・ディランが、1988年にキーファーから直接入手したもの。(S)


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