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中村 岳陵
NAKAMURA Gakuryo

1890-1969(明治23-昭和44)

1890(明治23)年、静岡県下田市に生まれる。本名恒吉。
10歳で上京。12歳で江戸琳派の流れをくむ野沢提雨(ていう)に入門、又14歳で土佐派の川辺御楯(みたて)に師事する。1908(明治41)年東京美術学校に入学。1912年同校を首席で卒業、更に第6回文展に≪乳び供養(にゅうびくよう)≫を出品して初入選する。
1914(大正3)年、第一回再興院展に≪緑蔭の饗えん(きょうえん)≫を出品。翌年≪薄暮≫により日本美術院同人に推挙され、以後院展で活躍する。
1930(昭和5)年、福田平八郎・山口蓬春らと六潮会を創立。
1950(同25)年に日本美術院を脱退し、日展に移る。
1962(同37)年文化勲章を受章。1969(同44)年、神奈川県逗子市の自宅で死去。
岳陵の画業は約70年に及ぶ長いものであり、その発表の場も前期の院展から後期の日展へと、大きく舞台を移している。又その画題も、仏画や歴史画の伝統をふむもの、風俗画的性格のもの、更に花鳥や風景など、多岐にわたっている。
しかし岳陵の作品においては、常にモチーフの細密な観察と写生が、重要な基盤となっている。
加えて、若い時代に学んだ伝統的な大和絵や琳派の描法、後期印象派の明るく華やかな感覚が積極的に統合され、そのモダンで清新な画面は、近代日本画のひとつの典型を示している。


残照

1961(昭和36)年
紙本着色
94.5×120.0cm
昭和60年度購入 

夕暮をむかえた冬の雑木林を描いた作品。画面下辺部の地平線からは、既にタ闇が迫って来ているものの、茜(あかね)色にそまった空は微妙な諧調を示し、金泥の雲も残照の美しさを高めている。更に葉を落とし、様々なかたちに枝を広げた樹木が、近景から遠景へと、シルエットのように描き込まれている。
本作品について岳陵は、「大自然の悠久、微妙で厳粛な天理の情景を敬虔な気持で描いてみた。特に東洋的水墨画の趣致と云った、感懐を加えて表わしたかったのであった。」と語っている。 しかし、明るい夕焼の空と暗黒の木々、又色面としてとらえられた空と線描による梢のコントラストは、本作品の重要な要素(エレメント)である。又緊密でとぎすまされたその造型感覚は、狭義の自然観察や写生をこえて、一種のデザイン的側面をも示しており、この点で、岳陵の画業と琳派作品との密接な関係を指摘することができる。
≪婉じ水韻(えんじすいいん)≫(1931・昭和6)や≪都会女性職譜≫(1933・同8)により、風俗画にひとつの境地をひらいた岳陵は、戦後、風景画に新たな世界を追求していった。
とりわけ、ゆるやかな山丘に枝をはる樹木を描く一連の作品には、樹林というモティーフと、それらをつつむ季節や時刻の変化について、細かな配慮のなされたものが多い。その中でも本作品は、≪雪晴≫(1956・昭和31)と共に、岳陵の風景画の展開をみる上で、重要な位置をしめる作品である。(Tm)


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